あさくさ福猫太郎とは?

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浅草の女剣劇の第一人者である浅香光代さんが、野良猫を助けたことにより飼い始めてからというもの幸福が次から次へと舞い込み多くの人を幸せにした福猫。

浅香光代さんが剣劇のポスターを張っていたところ、野良猫がよちよちと歩いてきたと思うと急に猫が目の前で車にスパーンと轢かれてしまいました。

かわいそうに思った浅香光代さんは猫を動物病院に急いで連れて帰り、無事命は取り留めました。

浅香光代さんは熱心に看病し、この野良猫を飼う事を決意。

名前を「浅香太郎」と命名しました。

 

不思議なことにこの太郎の額には小判模様があり、浅香光代さんが猫をそとで散歩しているとどこかのおばちゃんが

「この子は福猫ですよ。大変におめでたい猫ですよ」

とおっしゃったので浅香光代さんは「そんなものかねぇ」と気にも留めていませんでした。

ですが、この福猫太郎のおでこを撫でてから立て続けに色々な人々のお礼の連絡が入り、一番驚いたのは浅香光代さん。

「おかげさまで東大に受かりました!」

「馬券が当たったよ!」

「慶応の幼稚舎に入れた」

「お客さんが本当に増えてね!太郎ちゃんのおかげだよ」

「太郎ちゃんの写真を枕元に置いたら、意識不明の母が呼びかけに反応するようになった」

「歩けなかったのが、階段の昇り降りができるようになった」

「テレビで太郎ちゃんを見た時、自殺を思いとどまろうと思いました」

等々

これはほんの一部です。

あるテレビ局のプロデューサーがその話を聞きつけて

「もしもいいことがあったら、テレビに出してあげるからね」

と福猫太郎の頭を撫でながら言いました。

それから数日後

「当たった!当たったよ!」

ギャンブル運が全くないプロデューサーが馬券に当たったとのこと。

それからあれよあれよという間に福猫太郎はテレビに出演し、それからファンレターが届くまでになりました。

浅香光代さんの女中さんに

「太郎の散歩はまだですか?」

と尋ねる観光客も大勢いました。

TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」で「太郎の手形を10名にさしあげます」

そう一言話しただけで、なんと応募は数千通!!

その時、自民党の森幹事長が浅香光代さんの後援会長を務めていた時、

浅香光代さんが

「森さんもうそろそろ首相になっちゃいなよ」

森さんは、「いやぁ、どうだか」

「太郎、森さんを首相にしてあげな、いいね?!」

と願掛けするや、あれよという間に森首相が誕生。

長嶋茂雄監督も胸ポケットに福猫太郎の写真を入れていた程。

それだけではなく、浅香光代さんも福猫太郎を飼ってから仕事に困ったことがないとか。

残念ながら2005年5月20日永眠

それから12年後、新たにあさくさ福猫太郎が蘇りました。

浅草は猫にゆかりのある大変縁起のいい場所。

きっとあなたにもあさくさ福猫太郎が幸運を分けてくれることですよ♪

浅草と猫は深い縁で繋がれています。

 

招き猫が最初に歴史に出てきたのが浅草 浅草寺

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wikipedia 抜粋

歴史
嘉永5年に記された武江年表によれば、浅草花川戸に住む老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れて「自分の姿を作り祀れば福徳自在となる」と告げたので、そのとおりにしたところ利益を得たことが評判となり、今戸焼の土人形にして浅草寺三社権現(現・浅草神社)鳥居辺りで老婆によって売りだされ大流行になった、とある。

また「藤岡屋日記」嘉永5年の項では浅草観音猫の由来として浅草寺梅園院境内でひねり土人形を渡世をしていた老夫婦の愛猫が知り合いの飼っていた小鳥をあやめてしまったことに罪を感じて自ら井戸に身を投げた。

その後、老婆の夢に猫が現れ非を詫び「今後はあなたを守りいかなる病でも全快させる」と告げ、仲間の今戸焼屋が作った猫を拝んだところたちまち病が治ったことが評判となり、浅草寺三社権現(現・浅草神社)鳥居辺りで鬻がれ大評判になったことが記されている。

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